アレクサンダーテクニークを学ぶ時、身体の使い方や動作について考えることが多いと思います。

しかし、私は動きより「静」の方にもう少し目を向ける必要があるのでは無いかと常々考えています。

動かない状態の「静」が理解できれば、「動」もわかりやすくなります。

「静」は止まるでも固まるでも無でもありません。

「静」は「静」

何もなく立ち続けられること。

座り続けられること。

楽器を構える前に「静」の状態を作り、楽器に触れ、楽器を構えて「静」を作る。そして、演奏する。

スポーツの時にウォーミングアップとして闇雲にずっと動いている状態で筋肉を使い続けている人を見かけますが、真の「静」を知ったならば、筋肉が固まることは無いと思うのです。

私は音楽畑で生きてきました。

どのように音を出すのか。

どのように演奏するのか。

若い頃は、音を出すことばかり考えていました。

アレクサンダーテクニークを学び気付かされたことは、どのように「静」を創るか(演奏するか)でした。

休符の上にフェルマータ。

楽譜でよく見かけます。

この休符にフェルマータを考えるのです。

作者はなんの意図を持って音の無い休符にフェルマータを付けたのか。

全く知らない曲をレッスンする時、私はまず休符をみます。

どのような「静」が必要なのか。

特に声楽の曲は、言葉の途中で休符があったり、休符フェルマータを見かけます。

その意味を自分なりに考えて表現すれば、曲の形が出来上がるのです。

本当に不思議です。

演奏する人は「音を出す」事ばかり考えてしまいます。しかし作曲家は意図して休符を書いているのです。

どのような「静」にするかが決まれば音も決まるのです。

身体の使い方と全く一緒です。

素晴らしい指揮者は、そのホールの残響に合わせて絶妙な「静」を作ります。

その「静」の緊張感があるから「動」の音が生きてきます。

体の話に戻しますが

しっかり立てれば、しっかり歩けるし、走れます。

このような事を考えて調べると、いつも日本の伝統のものと繋がります。

武道、茶道、華道のように〇〇道は、必ず同じ事が書いてあります。興味深いです。

瞑想も同じです。

なぜ瞑想「メディテーション」が効果的なのか。

私達はいつも忙しく動いています。

何かを考えたりしています。

そこには「静」が存在しません。

眠っている状態も休まるかもしれませんが、無意識になる眠りの状態は「静」ではありません。それは止まる状態に近いです。

意識的にコントロールされた「静」が体や脳に必要なのです。

瞑想は「無」ではありません。

瞑想は「静」なのです。

すなわち「静」というものは意識的に創られたものなのです。

ただぼんやり立つのではなく、身体にとって効率の良い状態を意識しながら立ち続け、座り続ける必要があるのです。そうでなければ「停止」や「止まる」になってしまうのです。

音楽の休符も無意識にただ鳴らさないだけではなく、意味を持たせて意識的に休符を作るのです。音楽をなさっている方は忘れないで下さい。これはとても大切なのです。

私達はダイナミックなものに目を奪われがちです。でも、それが生きるのはスタティックがあるからこそなのです。

今、あなたの周りの「静」は何ですか?

あなたは「静」を知っていますか?

自分の生活の中で「静」を見つけてみませんか?

アレクサンダーテクニークは、「静」を見るにはとても良いものです。

何かを足していくものではなく、不必要なものを削って削ぎ落としていくテクニックです。西洋式の「道」だと私は思います。

正直言って、素晴らしい師匠に巡り会えたならば、アレクサンダーテクニークではなく、〇〇道でも良いかもしれないのですが(←おいっ!)

ちなみに今私は弓道にとてもとても興味があります。いつかチャンスがあればチャレンジしてみたいです。